はせがわるかの日常

昔のブログ、今はnoteで書いてるよー

大学の推薦入試やAO入試がなぜ小論文を導入するのか。

すぐにアウトプットしないと忘れてしまうのでいきなりつらつら書きます。

 

ちょっと最後の方過激かもです。

 

高校の時、国語表現という授業を取っていてよかった。

高校3年の時に選択で取った国語表現という授業は基本的に受験に向けて小論文の書き方などについて学ぶ授業になっていた。

前提として私は商業科だったため大学入試で一般入試を受けるという選択肢はほぼない状況であった。だから受験のためにこの授業を取ったという訳である。

 

今思うとこの授業すごくうまく構成されていた。大切なことがめちゃくちゃ詰まっていた。

なぜ今そう思ったかをタイトルである、「大学の推薦入試やAO入試がなぜ小論文を導入するのか。」に沿って書いていくことにする。

 

まず小論文で大学は何を見ているかを考える。
私はこう考えた。

一つ目は「順序立てて話ができるか」(話し方の順序を知識として知っているか)論理的思考力

二つ目は「自分の意見を持っているか」(ちなみに内容を見ればどんな人物か見えてくる)自己発信能力

三つ目「上二つを踏まえた上で読んだ人を納得させられるか」説得力

小論文で見ているのは大きくこの3つ。

この3つの能力はビジネスマンやプレゼンテーターに必要な能力。

ということは大学の推薦入試などでは優秀な社会人になりそうな人をここで選んでいるわけだ。

大学の売り出し方も今の時代は就職率が肝になって来ている。だからこそ社会人能力を見る推薦入試やAO入試が増えているのではないだろうか。

だから大学は推薦入試やAO入試に小論文を導入しているのである。

というのが大学の推薦入試やAO入試で小論文を使う理由だと思う。

んで高校の国語表現の何が良かったのかというと、

大学受験に必要である小論文についても学べる。なおかつそれがどうゆう風に社会で使えるかというところまで授業のカリキュラムに入っていたことだ。

具体的にどんなことをしていたかというと小論文の書き方を学ぶこと以外に、好きな新書を読んだ上でその内容を要約しつつ、みんなに読んでもらいたいと思わせるようなプレゼンテーションをしなさいという課題もあった。

つまり、それは小論文で学んだ文章構成などを使い(この授業の評価の観点としてインプットできているかが見れる)、実際に会社などでも使えるプレゼンテーションという形に置き換えてアウトプットしなさい(評価としては応用力が見れる)ということである。

勉強を勉強だけで終わらせない。授業になっていたのである。なおかつ評価の観点もしっかりしている。

そして題材として新書を読むことを取り入れていることも内容としてばっちり!

実際私はこれを機に本読まなきゃなって思ったから。

 

でも当時の私はこの授業を受けて勉強を勉強で終わっていないってことに気づくことができなかったので(今日気づいたということは4年越しで気づいたということになる)、その点ではまだ構成し直すところもある授業ではある。高校3年生に日常で使えるじゃんって思わせるのはなかなか難しいだろうが、5年も経っているのでもし今も同じ内容の授業が行われているとしたらもうその問題は解決してるかもしれない。だとしたら今の段階の私からしたら完璧な授業ってことになる。

 

そして最後に現在(私が小中高だった時に少し偏るが)の教育について私なりに少し話して終わる。

これに関してはあまりまとまってませんがまとめるためにも書かせてください。

 

大学に入って私が勉強って大切なんだって思った瞬間は勉強したことが世の中で使われていた時である。今まであまり好きではなかった勉強が学ぶということが好きになった瞬間である。さらに私は教職を取っていたのでその後どうして日本が義務教育でこのようなことを教えているのかも自分なりの考えを持つことができた。(ここで指す自分なりの考えはまた長くなるので省きます。)

その上で感じたことは今の日本の教育は勉強を勉強で終わらせている。つまり、基礎的なインプットだけで終わっている。アウトプットはあまりないし、応用もしていないから共感がない。
時代の流れ的にはアクティブラーニングも普及して来て対応をされているが、あまりにも遅いのではないだろうか(教育現場と社会との隔たりを感じる)。それ依然に実際アクティブラーニングを使っている先生はちゃんとそれを理解しているだろうか。ただ形だけでやっているだけではないだろうか(個人的に教育実習で本質を理解してアクティブラーニングを使っている先生は少ないのではないだろうかと感じてしまった)。形だけでやっていたらまた勉強は勉強で終わってしまう。それではまた同じことの繰り返しなんじゃないだろうか。使う方もしっかり理解し、自分の授業スタイルに合わせて応用して使うべきだと思う。これができれば今まで通りのインプット型授業もより効果的になるのではないだろうか。

 

上記の個人的な教育観も踏まえた上でも

あの時の国語表現の授業は最強だったと私は思う。

 

結局このながーいはせがわ論文では↑この一文が言いたかっただけ笑

あの時の先生に伝わればいいな。

 

この授業があったからこそ海外インターンに行った時に目的意識とか本質を考えるとかそうゆうことをスッと理解できたんだと思う。他にも要因はたくさんあるからその中の1つでしかないかもしれないが。それでも1人の人間が人の成長に確実に関わることができるという証明にもなったのでそいうゆ意味でも感謝しています。私もそういう人間になりたいから。

 

さて、最後まで読んでくれた方はいるのでしょうか笑

読んでくれた方へ

未熟で美しくもない文章に最後までお付き合いしていただき本当にありがとうございます。

これからもこんな感じで思い立った時につらつら書くので気になるものがあったら読んでやってください。

それぞれの思いなんかも聞けたら嬉しいです。

私も新しい視点がもてるようになるんじゃないかなー

 

それではまた今度!

写真は昨日おばに買ってもらったBluetoothキーボードのお披露目。

かわいいでしょ!

これでいつでもどこでも考えてることを素早くメモできるようになったぞ!

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